しばいぬホムペ
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管理人について・・・


<基本情報>
名前:Karyu
元々、モバゲーと言われるサイトに登録する際に「カーリュ」という名前で登録したことが由来です。 その後、ニコニコ動画に登録する際に「ka-ryu」と登録し、いつの間にかkaryuになっていました。 よみかたは「かーりゅ」でも「かりゅ」でも「かりゅう」でもいいです。

年齢:アラサー
ヒカキンの1個下、Stylishnoobと同世代です。つまり、おじさんです、でも精神面は高校のころから変わってないと感じます。 大人として振る舞うのは疲れるので、せめてネットの中だけでも幼稚に振る舞いたいです。

誕生日:9月29日
いまでは祝ってくれるのは妹くらいです。

<しごと>
量産型JAVA戦士
2か月くらいJAVAのこと教えられてそのあと現場に突っ込まれました。最初の3年は地獄みたいでした。 人手不足で未経験・学歴不問でたくさん募集が出てましたが、適性のない人は研修や最初の3年の間に脱落したと思います。 でも一番びっくりしたのは家にパソコンがない人がいることでした。プログラマーなのに!普段パソコン使わないのにそれを乗り越えた というのは逆に驚きです。でもその人がいうには家に帰ってまで仕事みたいなことする方が信じられないということでした。

<趣味>
・ゲーム
AVA、Varorant、Apex、OW、DBD、あたりをやってきました。ただ、子供のころはテイルズオブディスティニーやスターオーシャン3 ファイナルファンタジー10などのRPGを兄がやってるのを後ろから見てました。そのせいか、人がゲームをやってるのを後ろから見るのが好きなので ゲーム実況なんかの動画をよくみます。少し思い出したので書くのですが、テイルズオブアビスは途中の展開で主人公が嫌われすぎて兄がそれをみてドン引きしてたというか すこし落ち込んでいたのをあのゲーム見るたびに思い出すのであまり好きじゃありません。 あとは中学のころは天誅3をよく兄や妹と対戦プレイしてました。

・アニメ鑑賞
大人になってからアニメを見るのが日課になりました。きっかけは当時の友達に無理やり「とある魔術の禁書目録」を 鑑賞させられたことです。ただ、当時はまともなネット環境を持っていなかったので、地元を出てから本格的に見るようになりました。

好きなアニメ① 十二国記
中学のころNHKでやってるのを見てました、部活や勉強で忙しくてほとんど見れてませんでしたが、 それでも自身の精神面に大きな影響を与えたアニメであることは間違いありません。 ストーリーに感動したとかそういう話ではありません、周りの評価ばかり気にして悩んでいた自分に一つの回答を示してくれたのです。

好きなアニメ② エウレカセブン
確か土曜日の朝やっていたからでしょうか、子供時代に少し早起きしてみるアニメというのはなんだか特別に感じます。 中盤につまらない展開が続いたりもするので人にはお勧めしませんが、自分は好きなアニメです。エウレカ可愛いです。

好きなアニメ③ ヒカルの碁
子供のころに少し見た気もしますが、大人になってからちゃんと見ました。結局最後まで囲碁のことは分かりませんでしたが、 完結まで一気見してしまうほどの面白さがありました。

<生まれ>
沖縄で生まれました、兄弟は4人いて、一番上の姉は祖母の家で育てられていました。小学生のころは兄の友達と外で20時くらいまで 毎日遊んでいたのを覚えています。両親はどちらも0時頃まで帰ってこなかったので、自分たちでカレーを作ったり、野菜炒めを作ったり してました。でも食材がないときは母親に電話して弁当をお願いして、0時くらいまでほっかほか弁当を買って帰ってくるのを 待っていました。おかげで兄弟そろって夜型に育ちました。週末には祖母の家におばあちゃんが育てた野菜を貰いに行っていました。 父親は毎日どこかで飲んでいたのか、帰ってくると必ず暴れるので、父親の車の音を聞くのが怖かったのを覚えています。 酒を飲んでいないときは理性があってひょうきんで優しい人でしたが、酒を飲むと、とても手がつけられず、夜中の3時に心霊スポットに つれていかれたり、2階から宙ぶらりんにされたり、家から出されて朝まで寒い外で過ごすはめになったり、とにかく散々でした。 冬の日に寒い寒いって俺がいうと兄が自分のジャンパーを俺にかけてくれたのを覚えてます。

ただ、中学に入ると一転して父親が自分に対して厳しい態度をとることはなくなりました、機嫌がわるくても勉強しているときにはちょっかいを 出さなくなりましたし、ねだった参考書を買ってくれるようになりました。学校の成績がかなり良かったのが原因です。 中学で一度だけ席次1位をとったことがあり、それがいまでも自慢です。ただし、勉強はできても日常生活での会話などはてんでダメで、 随所にアホさが目立つらしく、おまけに頭の回転がすごく悪いので、人と話していると結構バカにされてました。なのでほんとに成績だけの話です。 一夜漬けが得意というか、他の人たちが勉強しなさすぎだったのかもしれません。

高校には奨学金を借りていきました。高校に入ってからは高校から近かった祖母の家に居候するようなりました、でも週に5日はバイトを入れて、バイト終わりは私服に着替えてマック に居座り勉強半分、居眠り半分で深夜3時くらいまですごしてたので、ほとんど家にいる時間はありませんでした。休みの日は勉強会というなの 雑談会を友達と開いていましたし、バイトがない日は生徒会活動をしていました。 丁度そのころにモバゲーを初めて、大学受験サークルやびっぱーなんたらっていうサークルの書き込みをみて時間をつぶしていました。 県外の同世代のフレンドなんかができて、何が良い参考書だとかを色々教えてもらっていた記憶があります。 このときくらいから、沖縄を出たいという気持ちが芽生えどんどん大きくなっていきました。

大学は奨学金を借りて県内の琉球大学というところに一応進学しましたが、1年で辞めました。というか最初からそんなに行きたくはありませんでした。 本当は東京に行きたかったのですが、沖縄からでる方法も金もないし、大学いかないなら県内で就職となってしまうし、そもそも周りになんて 説明したらいいかわからないので一応進学し、20歳になったときに辞めました。当時は成人が20歳からなので、それまでは自分の判断だけでは 携帯の契約もアパートの賃貸も就職すらできませんでした。だから20歳になると同時に、期間工に応募して、財布と携帯とノートパソコンだけを持って滋賀に飛び立ちました。

はじめての電車、日常生活で触れる雪、県外の人間、工場での仕事や生活、深夜バスで上京したこと、 フリーターとして過ごした日々、バイト先での人間関係、思い返してみると就職するまでに色んな事があったなって思いますが、とても 全てを書く気力もないし、深夜テンションでたくさん書いてしまいましたが、これ以上書くと自己紹介でもなんでもなくなるきがするのでここで終わります。 なんやかんや色々あって最終的には量産型JAVA戦士(プログラマー)になりました。